知ったか同士の乾いた会話

2020年7月24日夕刻

T「『経済学哲学草稿』を城塚登と共訳した田中吉六さんは小学校卒だよね。彼の『史的唯物論の成立』は何度も読んだよ。とても優秀な船橋高校出身の上級生から推薦されて、出版社主催の読書会にも参加しました(連行されて)。
これが初めての公開の読書会、討論会でした。」

S「マルクス史的唯物論(ヘーゲル精神現象論も)で気に食わないのは、どん詰まりがあると言うこと。マルクスは共産主義社会、ヘーゲルは絶対精神…弁証法とは永久運動と理解したい小生にとって物足りない…出発があってゴールがある、直線的な時間を限定する考え方はまさにキリスト教」

T「結論と解決(アウフヘーベン)が先行前提になる史的弁証法自体に、その限界があると思う。絶対精神の自己運動とその実現=ヘーゲル、先進国世界同時革命=マルクス。同じカードの裏と表だよね。」

S「そうそう、キリスト教のHeaven
彼らの歴史観はその模倣…ヘーゲリアンのフランシス・フクヤマ「歴史の終わり」もソ連滅び自由主義の米国が勝って世界は丸くおさまるって……全然おさまらなかった、世界情勢は逆にカオスに」

S「お疲れ様、カンパーイ🍻🍷🥃👍
まあいろんな史観があるんでしょうが、未だ史的唯物論を超える説に出会ったこと無し、ナハ😁」

近代文明ひいては科学を構築している普遍主義を知らないで、アンチテーゼを声高に唱える馬鹿二人の会話が如何に虚しいかが良く分かる。
これがルネサンスもルネサンス期の哲学即ちフリーメイソンの哲学ネオプラトニズムも知らずに、その上それがヘーゲルの考え方のベースだとも知らずに、そのアンチテーゼを唱えるのが如何に馬鹿らしいかの見本である。

TORIRO4