聖徳太子以来の御都合主義?

 

『神なき時代の日本蘇生プラン』とか言っても、

宮台氏は麻布東大だし80%は無条件に信用するが、残りの20%がどうもね!

 

やっぱりね、近代の超克以来延々と続いている、モダンを通り越して一足飛びにポストモダンに持ち込もうとするやり方、モダンは理解できないからなかったことにしようと無視しているんだと思うね、結局は輸入の学説で日本を断罪しているだけに過ぎないのさ。

 

残念ながら輸入の学説はデカルト以降の社会に対応していて、日本みたいな前近代中世オカルトの社会には対応していないってことだ、これも日本が近代化(既に科学があった時代)から参入したから、文明化(科学のなかった時代)に一時的に心()と身体()を離して科学を発達させた世俗化の過程を経ていないからに他ならない。

 

俺が近代文明とは、全能性の追求を目的に、普遍性の追求を手段にした、個()から全への思考の循環システムだと定義したように、全能も普遍もないからこそ追求するのが科学ということなのだ。

という事は神の概念は虚構であり、無神論と何ら競合するものではないということだ、何故なら日本人が飛びついたマルキシズムは普遍主義のアンチテーゼだからだ、日本人はテーゼである普遍主義に付いて何も理解していないで、アンチテーゼであるマルキシズムを普遍主義を拒絶するためだけに利用したに過ぎない、これこそが俺が言う聖徳太子以来のご都合主義であり、良いとこどりならぬ都合の良いとこどりなのだ。