未開のイデオロギー

今迄は「普遍主義を拒絶して残る統一規範は右傾化か左傾化しかない、天皇制のある日本では右傾化しかない、何れにせよ自由はない」と表現して来たが。

 

近代文明ひいては科学が普遍主義で構築されている事は、近代文明は基本的にリベラルであって、日本の様に未開で哲学的にリベラルの概念が欠如している社会では、リベラル(自由)のあり様がなく、右傾化か左傾化しかない、という事である。

詰まり未開のイデオロギーと言う事自体が矛盾なのである。

近代文明ひいては科学が普遍主義で構築されていて、それに基いて憲法が制定されているにも関わらず、憲法を守れと言うとリベサヨ扱いされる、詰まり日本にはリベウヨの概念がないのである。

何故日本にはリベウヨの概念がないのか、答えは簡単明快、未開だからである、近代文明=普遍主義=自由・平等・博愛=リベラルだからである。

 
今迄幾度ともなく遅れととるか違いととるかと言って疑問を発していたが、勿論人為を超えた次元を超えた違いは、違いには違いないのだが、これを遅れととると、今迄の前提条件である近代の超克を果たしたと言う事が覆されてしまうのだ。

 

これは前にも書いた、海外の学説は普遍主義前提で書かれているので日本の様な前近代社会には対応していないというのと同じである。

俺が先ずは文明化しろと口を酸っぱくして言い続けるのは、

近代文明(普遍主義)=文明化といっても過言ではないからであり、

 

海外の学説は普遍主義を前提にしていて、自由主義でもない日本人が普遍主義(

テーゼ=命題)を理解していないにも関わらず、そのアンチテーゼを唱えるのは間違っていると思うからである。

これは明かに日本人の良いとこどりならぬ、都合の良いとこどりの一つで、都合の良いアンチテーゼを利用してるだけに他ならない。

 

結局近代の超克に失敗した日本人は近代が鬱陶しくて堪らないのであり、一足飛びにポストモダンに持ち込みたくてしょうがないみたいでもある。

それでなければ、文化という穴倉に引きこもってしまうのである。

 

 日本は未開であり、パトスに支配されているので、本来はイデオロギーvsイデオロギーであるべきところ、イデオロギーvsイモーションになってしまう為議論が成り立たないのである。

 

柳田國男が文化は原始に対応する言葉で、原始文化と言う事が矛盾である、と言い、カールレビットが「近代日本」と言う事はヨーロッパ人にとっては生きた矛盾であると言った通りである。

 

国籍離脱の勧めで、

 

「前川さんの会見を見て、個人の尊厳、国民主権という言葉から個の確立の重要性或いは規制に必ずしも反対ではないという言葉からは哲学的にリベラルであり政治的に保守と革新に分かれるという基本理念迄共有出来た事は俺にとって実に意義深いものがあった。」

 

と以前書いたが、

 

「前川氏の会見ではっきりした事は彼が憲法に忠実であり、基本的にリベラルで保守と革新に分かれる建前論だという事だ。 ところが多くの日本人は普遍主義詰まりリベラルを拒絶しているのが本音なのだ。」

 

結局自由主義諸国では哲学的にはリベラルであり、

それを前提に保守と革新の二大政党制を採るのが普通なのだ。」

 

未開のイデオロギーと言うのは矛盾なのだ。