大団円(『「個人学」の勧め』)

昨夜(2020年3月12日)ある方から、ヘーゲルがフリーメイソンだった確証は今のところないと言うご指摘を頂いたので、以前読んだウィキを見たら、彼が若い頃フリーメイソンに加入したという部分がすっかり消えていた。

慌ててググったがそう言った記述はどこにも見つからなかった。

仕方がないのでもう一度英語でググったら、彼が若い頃しきりにフリーメイソンに興味を示していた、という記述の他、彼の周囲にはフリーメイソンが沢山いたので当然影響を受けている、という記述や、フリーメイソンのフィフィテに師事していたので、彼の影響を強く受けているという記述を見つけた。

 

幸いな事にその代わりにコトバンクに彼の考えがネオプラトニズムに基づくという記述を見つけた。

 

「彼の思想の原点にあるものは、ネオプラトニズムを下敷きにしたルネサンスの自然哲学とドイツの神秘主義のなかに流れる、生命的存在の一元論である。」

 

ネオプラトニズムこそルネサンスの哲学であり、同時にフリーメイソンの哲学でもある。

道理で自分の考えがヘーゲルと似ていると言われるわけである、眼から鱗である。

マルクスがフリーメイソンな事は確定しており、彼の考えがネオプラトニズムに基づく事も確定している。

 

これで日本人がテーゼ(普遍主義)を知らずにアンチテーゼを唱えているだけだと言う俺のセオリーも裏付けされた事になる。

 

詰まりヘーゲル左派のマルクスはアンチテーゼとして無神論を唱え、日本の左派が追随したということであるな。

「水道屋がありもしない普遍だとか相対だとか、ドイツの観念論だとか言っているのは、プラトンのイデアであり、プラトンの観念論なのではないのか。

矢張り、ルネサンスもフリーメイソンも知らないで、近代文明を語るのは無理だって事だよ。」

 

【未開を認めたら死ぬ病】でも書いたが、それがいみじくも証明されたのだ。

 

日本人は近代文明、ひいては科学が普遍主義で構築されていて、それに基いて憲法が制定されているにも関わらず、近代文明について何も知らないのだ。

残念ながら普遍主義についての教科書はない、そこで振り出しに戻るわけだ。

柳田國男は教義のない神道のバイブル作りを試み、73年後に生まれた孫の芳秋は、日本語取扱い説明書のついて来なかった近代文明の取説が作りたかったのだ。

それが『「個人学」の勧め』に他ならない。