未開とは纏め

近代文明ひいては科学が普遍主義で構築されていて、それに基いて憲法が制定されているにも拘らず、日本人は普遍主義について何も知らない。
その上、憲法を守れと言うとリベサヨ呼ばわりされる。

近代文明の淵源がイタリアルネサンスにあり、その哲学がネオプラトニズムで、ギリシャ哲学とキリスト教のシンクレティズムである事も勿論知らない。

ルネサンス期にフィレンツェのメディチ家のビラで開かれたプラトンアカデミーがフリーメイソンの起源と言われ、その理念が自由・平等・博愛だとも知らない。

日本国憲法前文にある人類普遍の原理こそがこのフリーメイソンの自由・平等・博愛である事も知らない。

普遍主義の理念は自由・平等・博愛であり、その実践は国籍を超え、年齢を超え、性別を超える事だと知らない。
その上、後の二つは英語すら要らないのに日本人は超えられない。

自分を限りなく相対化して、国籍もなく、年齢もなく、性別もない一人(個人)を導き出したのが個の概念であり、これが自由・平等・博愛の根拠である。

自分の自由は、国籍があり、年齢があり、性別があるので自由裁量の枠は小さい。

科学の目的は全能性の追求であり、手段は普遍性の追求である事も知らない。
日本にはその両方の追求姿勢が欠如するので、科学の生まれる土壌がなく、科学は宗教に近い所謂科学教である。

科学の手段である普遍性追求姿勢が欠如するので、相対化出来ず、従って世俗化出来ないので文明化出来ない。

相対化出来ないから、自分だけは常に特殊で例外である。
これが日本人凄い、根拠のない全能感及び日本人無謬論の元である。

相対化出来ないから拡散する一方で収斂に持ち込めない。
これがツイッターが常にエンドレステープ状態な理由である。

相対化出来ないので常識を良識にまで昇華出来ず、日本の常識は世界の非常識と言われている。
日本には絶対の概念が欠如するので良心、良識は存在しない。

この世俗化のプロセスを聖俗分離と呼ぶが、世俗化出来なかった日本は聖俗未分離であり、政府は政教未分離の極致、宗教犯と政治犯が分離していない確信犯集団、日本会議カルトに牛耳られている。

日本人の抱えてる問題の大部分は普遍主義、自由・平等・博愛由来であり、憲法を守りさえすれば解決出来る問題ばかりである。
にも関わらず、政府は教育基本法から個という文字を取り去り、憲法前文から人類普遍の原理を、最高法規から人権条項を削ろうとしている。

普遍主義を拒絶して残る統一規範は右傾化か左傾化しかない、何れにせよ自由は期待出来ず天皇制のある日本は右傾化しかない。