SとTの会話
散々俺をディスった挙句出て来た結論がこれだよ、
この乾いた言葉のお遊び、
全て似非な日本人ここにありって感じである。
S「「日本人は己の個を如何に発見するか」
…これはなかなかの問いなのです、歴史的にも学問的にも。誰も解を示せなければ、自分が研究したいくらいです、Tちゃんご自身の興味の射程に入ってるんじゃないですか😊」
T「そのために生きていると言っても過言ではありません。だから色々と迷いつつ、日本史や文学史も改めてヤリ直したいと思っています。チャンスは何度もありながら、外して来たのが、この国の思想史だと思います。」
「日本人は己の個を如何に発見するか」
安倍謹也氏が西欧の個は日本の個とは違うのですと言ったからと言ってそれを真に受けて、日本人の己の個って何だよ、
普遍主義を無視して、個だけ独自に導き出してどうするって言うんだ。
公私混同ならぬ個私混同なんだぜ日本人は!(詳細は下記雲丹大学で)
大体、近代文明ひいては科学が普遍主義で構築され、それに基づいて憲法が制定されてる時に、普遍主義を避けて通る事は出来ない、それを避けて通ろうとしているのが日本人だと、そこら中に書いておいた筈だが。
目的は文明化だと言う事を失念してるんじゃないのか?
俺が30年かけて近代文明を検証して図解までした結論が気に入らないからと、日本人は科学の手段である普遍性追求姿勢が欠如する為に相対化出来ないと書いた、相対化の定義を求める程馬鹿げた事はない。
何故なら科学の手段である普遍性の追求こそが相対化であり、要素還元主義であり、共通項で括る詰まり因数分解だからである。
それでいて、何を持ち出したと思えば、丸山真男だぜ、今更丸山真男読んでそれで近代の超克が出来れば誰かが既にやってるとは思わんかい!
大体主観とは自分で考える事であって、他人の書いた本を読んで唱える事じゃないだろうに。
「そのために生きていると言っても過言ではありません。」
その為に生きているって、己の個を発見する為に生きているって、自分探しの旅じゃないんだぜ、勿論自分探し詰まりアイデンティティーの追求も大事ではあるが、そんなのは当然の事、固有の問題を相対化して更に普遍的な問題に迄昇華するのが哲学じゃないのか?
全ての事は雲丹大学を読んで頂けば理解出来ると思います、結局この二人は何も読んでないと言うことが判ります。