日本人にとって新憲法が最大な不幸だった
今迄輸入の学問はデカルト以降の社会に対応していて、日本の前近代、オカルト社会には対応していないと言い続けて来たが、何の事は無い、憲法も同じである事に気が付いた、そもそも未開社会には立憲主義そのものが不似合いなのである。
これで全ての謎が解けた、
これが日本の人文学が疲弊した原因でもあり、猫に小判、豚に真珠、日本人に憲法と言う所以である。
日本人は科学の手段である普遍性追及姿勢が欠如するので、
相対化出来ない、
絶対の概念が導き出せない、
個が確立出来ない、
世俗化出来ないから文明化出来ない、
聖俗未分離のまま。
海外の学説はデカルト以降の社会に対応していて、日本の様な前近代、中世オカルトの社会には対応していない、逆の立場から見れば、輸入の学問では日本の心は解けないと言い事なのだろうが、それなのに輸入の手法でしか解説すら出来ないこのジレンマ、日本人がロジカルじゃないので、ロジックが理解出来ない、未開だから理解出来ない、理解出来ないから未開のままなのである。
今迄「主観になり得ない客観」とか「客観の客観視は誰にでも出来る」と表現していたが、海外の学説は所詮文明国の人間の主観であり、客観であるわけで、未開の日本人には理解出来ないのである。
詰まり日本人は主観の客観視、所謂相対化が必要なのにも関わらず、客観(海外の学説=主観になり得ない客観)の客観視をしてるに過ぎないと言う事になるのだ。
日本人は所詮この世は自分と他人で成り立っていると言う原点に戻り、
自分=主観=絶対
他人=客観=相対
という自他の哲学から始めるべきなのである。
日本人が普遍主義を理解出来ないで拒絶し続ける限り、残る統一規範は右傾化か左傾化しかない、天皇制がある日本では当然右傾化になる。
何れにせよ自由は期待出来ない。
結局逆説的に極論すると、日本人にとって新憲法が最大の不幸だったと言える、何故なら日本人には憲法前文に謳われている人類普遍の原理が理解出来ないのだから。
理解出来ない文言が憲法の前文に謳われているほど不幸な事もない。
日本会議にとってはこれ以上の言い訳はないし好都合もない、
理解出来ないから取り外したくもなるだろう、何せ
彼らは国民が自由・平等・博愛だと困るのだから。
憲法を守れと言うとリベサヨ扱いされる国、
リベウヨの居場所がない国、普遍主義を理解出来ない日本人は右傾化が当然の成り行きだったのである。
日本人の現在抱えている問題の大部分が普遍主義由来であり、憲法を守りさえすればその大部分が解決出来ると言うのに。
以前は人為とは思えない次元を超えた違いと表現していたが、これはイスラム社会と同じ様に日本人が自由より寧ろ秩序を好むからである。
イスラム社会=聖俗一致
日本社会=聖俗未分離
普通大人になると自由を欲しがるものだが、日本人は大人になる事すら拒んでいる。
全員が大人になりたくない症候群、ピーターパンシンドロームなのである。
縛られてる中で愚痴を言うのが好きなマゾにはファッショがお似合いとも行って来た。
今迄、生まれてすぐ大人になる西洋人と死んでから大人になる日本人、その原因は日本人が自分と向かい合う事を要求されないからと言い続けて来たが、その原因はどうやら日本人の意識は、この世=相対、あの世=絶対と単細胞だからだと判明した。
相対世界どっぷりの日本人は他人との比較によってしか自分を測る事ができない。
相対化出来ないから自分だけは常に特殊であり例外である。
これが日本の常識が世界の非常識と言われる原因でもある。
日本人は相対化出来ないので常識を良識迄昇華させる事が出来ないからである。