先ずは文明化する事だよ!

T「このあたりは見えみえだよね。

西洋哲学の始まりとこの国粋主義師が言うデカルト、読んでいるのかどうかははなはだ疑問だよね。

そもそも「普遍主義」や「主観」や「客観」や「相対」などの、ありもしない幻想的な観念論を振り回して、他者を恫喝するイデオロギーは、俺にとっては邪魔だよ!」

 

ありもしない幻想的な観念論って、自分の教科書にありもしないだけじゃないのか?

そりゃ邪魔だろう、自分の普段振りかざしてる哲学が全て普遍主義を前提にしてるのにも関わらず、その肝心な普遍主義を理解出来ないんだからな。

日本会議が憲法前文から人類普遍の原理を邪魔だから削除しようとしているのと一緒だろ。

 

結局マルキシズムが良い例だが、普遍主義を前提に成り立っているものを。文明化していない未開の中世日本で語る事が如何に馬鹿げているかなのだ。

 

俺が謂わゆる、輸入の学問はデカルト以降の社会に対応していて日本の様な前近代未開の中世オカルト社会には対応していないと言うのと同じである。

西洋人は一時的に心と身体を離し、近代文明ひいては科学を発達させた、逆に日本人は近代文明に無理やりに心と身体を引き離されて一億総分裂症になった。

これが俺が日本はデカルト以前だと言う所以である。

 

憲法もさることながら、同じ様に哲学も一緒で、ネオプラトニズム起源の普遍主義前提のセオリーばかりだと言う事だ。

これが俺が先ずは文明化する事だと言い続ける所以である。

 

柳田國男がヨーロッパではルネサンスが大きな仕事をして中世を壊していると言ってから久しい。

 

日本人は自己完結型の論理の中で生きてい流のでそれを壊されると火病る、今回の場合も日本人未開論が、彼らのセオリーが彼らの理解出来ない普遍主義を前提に成り立っている自己矛盾を明らかにしたからでもある、日本人未開論は彼らのセオリーを根本から覆してしまうからでもある。

 

大体「ギリシア・ローマの思索と知恵を愛し、絶えず自分の無知を自覚しつつ学び続けて行きたいと思っています。」って言ってるフランス帰りが何故世俗化すら理解してないんだ、自分の無知を自覚してないじゃないかと以前書いたが、

 

Tが何故ルネサンスを理解出来ないか、

以前よくルネサンス、近代文明の淵源については美術史家の方が良く知ってると書いていたが、昔哲学所謂論理学、倫理学、宗教学、美学はかなり近い関係にあったと思われるからだ、所謂真善美である。

 

結局教科書に出てないから分からないんだろ

普遍主義に関しては教科書がない、だから皆口をつぐんでしまう。

 

俺はその領域を独自に図解したってわけ、これこそまさに近代文明日本語取扱説明書と言える。

 

これが柳田國男は教義のない神道のバイブル作りがしたかった、その孫の芳秋は日本語取扱説明書のついて来なかった近代文明の日本語取扱説明書を作りたかったと言う所以である。

 

教科書に出てる事しか信用しない日本人と、かたや教科書に出ていない事だけを追求する俺の間には自ずと接点がない。

 

T「根本的にギリシアの思索と智恵は、世界はあるがままに存在し、今後もそのようにあり続けるだろうという世界観、宇宙観、人生観です。神による天地創造説は問題にすらなりません。」

 

キリスト教に一度傾倒した人にこれを説いてるのに何故、ルネサンスがギリシャ哲学とキリスト教のシンクレティズムだと知らない、故意にキリスト教を避けているとしか思えない節がある。

 

これでアル中二人の共通点がキリスト教に対する反発だったと判明した、Sは共産主義、無神論の為、Tは不明だが、ドイツ観念論哲学とか訳の分からん事言ってるところみると、滞仏中に誰かの影響を受けたか何かだろう。

 

ギリシャ哲学を礼賛する割に、ネオプラトニズムには言及しない、知らないのかそれとも故意に避けているのか。

 

ルネサンスがギリシャ哲学とキリスト教のシンクレティズムであり、それがフリーメイソンの自由・平等・博愛を導き出し、普遍主義の理念になった事を知ってか知らでか。

 

文明化のプロセスを知らない人間に近代文明を語る資格はない。

 

俺は近代文明ひいては科学を構築している普遍主義を30年掛けて図解した。

 又重要な事項についても全て解説したし、日本の特異体質も指摘した。 

結論として日本人が普遍主義を理解出来ない致命的な欠陥も指摘し解説した。

 

 後これを学ぶか学ばないかは日本人が決める事だ。