縦横のインデックス
二〇一七年八月二四日 (木)
「人生に色合いを」というタイトルで、
「はじめに言葉ありき、人生はロジックに始まりロジックに終わる。」
なんて書いていた。
その中で、
縦横のインデックス
「それは縦横のインデックスを一致させる事でもある、俗にニューラルプルーリングと呼ばれているらしい。 」
「自分がセオリーを完結する事が出来たのは最終的に縦横のインデックスが繋がったという事だ。」
なんてのも書いていた。
もう2年以上も前だ、
Time flies like a pig.
最後に兄と会った時兄がこんな事を言った、
『「君はお爺さんと一緒で、縦横のインデックスが繋がってないと気がすまないのよ」と、さも僕の文章を読んでいる事をほのめかすように言った。
「為ちゃんともそっくりだ、僕にはそういった所が無いから救われた」とも言った。
この「縦横のインデックスが一致しないと気が済まない」って言葉を一時多用していた事がある。
これは祖父の頭脳が恰もリレーショナルデータベースの様であり、父のそれはカード型データベース位の違いが両者の間にはあったという意味合いでだ。』
日本人はカード型データベースであり、リレーショナルデータベースではない。
それはニューラルプルーリングが出来ないからだろう、結局脳のキャパシティーが小さいと言う事だ。
詰まりカード型データベースでは同時に、未開と異文化という二つのインデックスでソート出来ないって事です。
これが普遍性追求姿勢が欠如し相対化出来ない原因だと思われる。
皆同じだ、
哲学とは自分で考える事であり、普遍性の追求である。
普遍性の追求をすれば自ずと同じ所に行き着く。
相対化し尽くせば回帰する。
それが自然の摂理というものである。