自費出版ならぬ自慰出版

姉が『洋画家南薫造 交友関係の研究』という本を自費出版して、僕の二十年来主張し続けて来た
、柳田國男で社交しないで欲しいという願いは脆くも崩れ去った。

嫁ぎ先の祖父南薫造の資料を整理していたのは知っていたが、まさか柳田國男と無理やりに結びつけようとしてたとは知らなかった。

「音楽仲間のサロンのようになっていたところに加わったのが、もとは柳田國男(1876−1958)が牛込加賀町の自宅に人を呼んで開いていた談話会の仲間だった。」

僕の目に真っ先に飛び込んで来たのが、この柳田國男の生年と没年の校正ミスであり、それを実にやんわり指摘したにも関わらず、本人は「ああ没年が違ってたのね、、!!」これだけ柳田國男に拘っている割に寄りによって生年も没年も間違えるってのは頂けない。

柳田國男より9歳上の夏目漱石との接点すら無いと言うのに、國男より9歳下のそれも洋画家の南薫三とどうして接点があると思うのだかが理解出来ない。

漱石の方は明白である、國男は「森鴎外の方が漱石より何倍も偉いと思っていた」のであり、「漱石の子孫が印税だけで食べていける出版業界」には批判的だったからだ。

「筆者の父方の祖父が民俗学者の柳田國男だということを折りに触れて書きましたが、南薫造が柳田を強く意識に上せていただろうことは、間接的ながら、いくつか接点があることから、間違いないことと思います。]

「南が柳田(1875ー1962)を身近に感じていたことは間違いないと思いますが、日記等のどこにも、柳田の名を書くことをしていません。『先祖の話』の代金を振り込みに行ったことを日記に書いた際にも、著者の名前は書いていません。」

間違いないとか推察ばかりで、興味が無ければ名前だって書かないだろう、

「南は、自分の養子(実孫)のところに、柳田と同じ屋根の下で暮らした直系の孫が嫁いで来て、<後省略>」孫を同じ屋根の下で暮らしたって表現するのもおかしいし、直系の孫ってご主人は直系の孫でも無いのでしょ、これ程自己主張しなくちゃならない理由ってあるのですかね。

「お親しかったからこそ買ってくださった場合が多かったと思いますが、交友の内容が不明な場合は、全て割愛しています。」

この割愛ってのも失礼極まりないが、それじゃ真っ先に割愛すべきだったのは柳田國男だったのではないのか。

これが本当に南薫造の本かどうかも疑わしい、自費出版ならぬ自慰出版である。

これで遠野で柳田國男の名前を語って自ら座敷童子を演じている母親を批判しているのだから、たまらない、僕が何度もミイラ取りがミイラにならないように気をつけろと再三注意したにも関わらずだ。

その割には漱石の会だかなんだか知らないが、そこの方が見てるから、ブログにもツイッターにも余計な事は書かないでねと注文だけは多い、本当の事を書いたら社交の邪魔になるなら社交なんかやめちまえってものだ。