なんと言っても塚谷は喜劇だよな、ピエロだよ、

あれだけ散々、ありもしない普遍だ絶対だドイツの観念論だって大はしゃぎした、ヘーゲルの考え方がルネサンス期のフリーメイソンの哲学ネオプラトニズムに基いていた事すら知らなかったんだぜ!

普遍主義はプラトンのイデアにも萌芽が見られるとか、キリスト教由来とは言い切れないとか、途中で何度か言い逃れを試みるが叶わず、

T「優れた文献(羽仁五郎、服部之総、遠山茂樹など)を読むことなく、極右の平川裕弘等の3流文献を読んだ帰結だろうね。
こいつ西洋哲学の解釈もめちゃくちゃだよ。
プラトンもアリストテレスも読んだことがないから、
「普遍性」はキリスト教から始まっただとさ!」

お前ってどうしてこうも汚いんだ、年明けたばかりにこう言ってたジャマイカ、俺もそれには答えてるぜ。
大体ルネサンスの哲学即ちフリーメイソンの哲学を追求してる俺が普遍性がキリスト教からなんて言う筈もない。
何の事は無い読み返してみたら、これってチキンが言ったんジャマイカ、飛んだ濡れ衣だ。

S「人権は生まれながらに備わったものなのかどうか?これ、実は証明難しい。一説によるとキリスト教思想から来ているとも(天賦人権論)。小生は虚構で大いに結構と思う。世界70億人の大半を納得させられるのはこれしかないからだ。数学・物理を見よ、点・質点という虚構設定であれほどの発展を見たのだ」

T「これ回答不可能だよね。
「普遍主義」はキリスト教由来とも言われているけれども、それ以前のプラトンの「イデア」にもその萌芽はあるし、さらに彼以前のデモクリトス(前5世紀)は、すでに自国(都市)の利害に執着しない世界市民主義や、都市ポリス間の戦争に対する反戦思想を宣言しているからね。」

再びこれだよ、

T「何が日本で個人主義の確立を阻むのか?を探求したければ、せめて「個人とは世界史的&社会的関係の総和」マルクス、「個人とは世界史的連鎖の末端」ニーチェという定義(ヘーゲルの影響大)から考察するしかないし、日本近代史を探求した講座派諸氏や丸山真男、橋川文三、色川大吉氏らの解読は必須だ。」

君は近代の超克シンポジウの事には一切言及せず、超克に失敗した人間の事だけを論う、
橋川文三を語る時に柳田國男に言及しないのは難しいし、何故日本で個人主義の確立を阻むのかって、そりゃ日本は世俗化の過程を経てない、前近代、中世社会だからだし、元々一神教の社会背景がなく、未だにギリシャ神話のレベルの神道にしがみついてるからだろうに。

それも、「個人とは世界史的連鎖の末端」ニーチェという定義(ヘーゲルの影響大)から考察するしかない」って自分で注釈までつけてるんだぜ。

詰まりヘーゲルが追求していた近代文明の淵源であるネオプラトニズム(普遍主義)の追求が必須だって事だよ。

結局これなんだよ、文明化ってのは近代化のずっと以前の話だって事、これは阿部謹也氏だって認めてるぜ、

これは塚谷だけじゃなくて日本人全般に言える事だとは言え、個の確立即個人主義と短絡させて、個人主義の確立よりも先に個の確立が必須だという事を忘れている、先ずは文明化する事だという所以だ。

だから日本人の所謂イデオロギーと言うものは概ね普遍主義のアンチテーゼなのさ、普遍主義の普の字も知らない日本人がアンチテーゼだけを唱えるのは間違ってるのさ。

2020年7月12日

T「哲学は現実の人生には殆ど役に立たないし、阻害ですらある。では自分の人生にはプラトンやアリストテレスの哲学は全く必要ないのか?彼らの哲学を足場にして思索したモンテーニュ、スピノザ、ニーチェ、ハイデッガー、アーレント、フーコーの思索と智恵を無視して生きてゆくのか?
これが出発点です。」

ちょっと目を離したら別アカウントで説教たれてた、
それもネオプラトニズムをベースにしていたヘーゲルに言及もしないで。
だからルネサンス、ネオプラトニズム、フリーメイソン抜きに文明を語るのは無理なんだってばよ。

TORIRO